Tawagoto へようこそ!!

2011年3月
大変な月になりました。
2011/03/31(木)
地元のかつグルメ(チェーン店)で晩ご飯。
久しぶりにカツ丼を食べた。
地震の影響で流通や生産に影響し、品薄になったり物価が上がっているものがある。
身近なもので品薄なのは、食べ物ならヨーグルト、生活関連なら石油燃料がそうである。
値上がりは困るが、致し方ない部分もあると思う。
だが、中にはそれでは説明がつかない価格で販売されているものもある。

アルカリ乾電池10本を一万円以上で販売するインターネット上の店があったり、ペットボトル入りの水を2L12本で二万円まで高騰させる人がいたり・・・。

ここから先は未確認だが、聞いて気になった話。
「石巻地区のある店ではガソリンを1Lあたり\400で販売している」
「東松島市のある店ではたばこ一箱を\1,000で販売している」

現在のガソリン価格は1Lあたり\150前後、たばこは\400らしいので倍以上の値段である。
私はたばこを吸わないので影響ないが、ガソリンの品薄(単にお店が混雑しているだけ?)は困る。
だが、他の店が妥当な価格で販売している中で倍以上の価格をつけるような店で入れる気はない。
インターネット上の店なら、それが後々悪評につながれば撤退や再出店が比較的簡単にできるだろうが、被災している地元の、しかも実店舗でそんなボッタクリをするのが理解できない。
恥も外聞も無いのだろう。
(たばこに関しては違法にならないのだろうか?)

私なら厳しいときに良い対応をしてくれた店には「通常の生活に戻っても、また行こう」と思うが、厳しいときにボッタクルような店には二度と足を運ばない。

少々回りくどい言い方だが、
そんな店は潰れてしまえ!!である。

2011/03/30(水)
夏タイヤに交換R2のタイヤを夏用に交換した。
これで燃費が少しだけ良くなるハズ。
ガソリンが貴重な今、その差が大きい。

三陸自動車道・鳴瀬IC以北の通行制限が解除された。
これまでは緊急車両や大型車のみ通行可だったのが、制限が解除されたことで一般車も通行できることになった。
一般道はあちこちで隆起・陥没・亀裂があって走りにくかったので、三陸道の制限解除はありがたい。
三陸道もギャップなど路面のダメージはあるが、それでも一般道より走りやすい。

でもさ・・・なんで渋滞するの?
三陸道(利府以北)は単純な一本道だよ?
なんで何キロもの区間で10km/hの超低速だったり完全停止しなければならないの?
なんでかなぁ?

2011/03/29(火)
内部まで泥だらけのPCコンピュータ関係の業務に携わって18年。
壊れたPCを色々診てきたが、泥だらけのPCは初めてのことである。

写真のPCは北上町(石巻)で津波を被ったものである。
PC自体は確認するまでもなく修復不能である。
海水を含んだ泥水を被り、既に内部の腐食が始まっているのだから・・・

その点はお客様(法人)も予想していたことなのだが、内部のデータについては何とか取り出したいとのこと。

とは言っても内部にまで海水が入ったHDDからのデータ復旧は私の手には負えないので、データサルベージ(データ復旧)の専門業者に依頼してきた。
10日間程度で復旧の可否と修復費用が算出されるので、とりあえずその連絡待ちである。

無事にデータの復元が出来ると良いのだが・・・

2011/03/28(月)
夜、水道の水が出た。
嬉しい事である。
利府町役場のホームページに通水することが掲載されているので、恐らく正式な復旧だと思う。

今度は止まらないでね。

2011/03/26(土)
まだ雪が降る日がある地震発生から2週間が過ぎた。
その間、県内だけでなく多くの人から連絡を頂きました。
ありがたいことです。
おかげで比較的平穏に過ごしています。

また、青森や神奈川からも「必要なものがあれば送ります」とか「部屋が空いているから、しばらくの間こっちにおいで」などのありがたい言葉も頂戴しました。

本当に感謝しています。

住むところがあり、豊富とは言えなくても食べ物があり、テレビやPCで情報をつかめる。
携帯電話も使えるし車も走れる。(ガソリンの入手には現在でも待ち時間が必要だけど)
水道が止まっているので不便はあるけど、なんとか確保したり使い方に気をつければ何とかなるもの。
最近ではスーパーで買い物もできるようになってきました。

こんな具合で、比較的平穏な暮らしをしています。
励ましやご心配のご連絡、ありがとうございます。

2011/03/25(金)
寒い。
寒くて指がかじかんでいる。
そのせいでキーボードを打つのもぎこちない。

天気予報ではまた雪が降るらしいことを言っている。
もう3月下旬なんだけどね・・・。

水道が再び止まった。
このまま完全復旧に向かうかと思っていたのに・・・
反面、止まるかもしれないとも思っていたから驚かないけどね・・・

2011/03/24(木)
遮断機が撤去された踏切地震以来通行止めだった宮城県内の高速道路が通行止め解除になったらしい。

東京の金町浄水所で放射性ヨウ素が乳児の暫定基準値を超えたとして乳児の飲用を規制したのが昨日。
今日、基準値を下回ったことでその規制が解除になったらしい。
テレビでそのことを放送していたのだが、その影響でミネラルウォーターが品切れになっていることも放送していた。
まぁ、気になるけど乳児以外には影響が無いということだから、ここはひとつ赤ちゃんがいる家庭に譲りましょう・・・とはならないのかな?
オークション上では2リットル12本のミネラルウォーターに2万円近い値段をつける人も・・・。
出品する方も出品する方だけど、入札する方も入札する方である。
馬鹿な真似はよしなさいって。

それはさておき、「金町」は「かなまち」と読む。
私が高校卒業まで住んでいた町である。
その頃は「かなまち」とフラットに発音していたのだが、ニュースを読むアナウンサーは「かまち」と「な」を強く発音している。
どうでも良いことだけど、気になるなぁ・・・
(アナウンサーの横にいた専門家らしい人は私と同じように「かなまち」と発音していた)

宮城県内の鉄道は仙台市営地下鉄以外、運行停止中。
しかし、今月末から仙石線や東北線が運転を再開する予定だという。
運行再開区間は仙台駅を中心に順次拡大ということだが、地震からの回復を感じられるのは嬉しい事である。
新幹線は・・・電柱が倒れたり駅も損壊しているから、すぐには難しいかな?
石巻で最大級の企業である日本製紙(旧:十條製紙)。
海に面した場所にあるため相当な被害を受けたのは想像に難くない。
ひょっとしたら工場を閉鎖して撤退・・・との憶測もあったが、存続を表明した。
石巻の人口の9割はなんらかのつながりを持つと言われている会社だけに、この表明は大きい。

夕方、ちょっと強い地震があった。
石巻で震度5弱、 仙台近辺では震度4だった。
もはや地震は連日のことなので少々の揺れでは驚かなくなってきている。
何しろ11日の地震以来、震度4以上の地震が70回以上発生しているらしいからね・・・

2011/03/23(水)
復帰し始める塩釜昨日、地震があったので地震速報を見るためにテレビをつけた。
そのとき塩釜のお店が頑張って開けている様子が映っていた。
その中で、どら焼きで有名なお店が店の入り口で販売している様子も映っていた。
それを見て思った。

・・・どら焼き、食べたいな・・・

そんな訳で、塩釜まで自転車を走らせてどら焼きを買ってきた。
これもちょっとした復興支援?

みんなでがんばろう塩釜からの帰り、路線バスが走っているのを見かけた。
バスの窓ガラスには「みんなでがんばろう!」の文字が書かれていた。

そうだね。

買ったどら焼きは家に帰って味わって食べました。
久しぶりに食べたどら焼きはおいしかったよ〜。
(久しぶりじゃなくてもおいしいんだよ)

2011/03/22(火)
静かな仙台市中心部業務のため仙台市中心部に出かけた。
公共の交通機関が地震以来止まっているため車で行ってきたのだが、ガソリン不足の影響か普段のような混雑もなく比較的スムーズに到着。
駐車場も空いていて楽だった。

仙台中心部に行ったついでにお客様である会社にお伺いしてみた。
地震後に連絡を取った時に、その会社の従業員さん(多賀城在住)の家が津波にのまれ、連絡が取れないという話を伺っていたのである。
その従業員さんと面識があるので気になっていたのだが・・・。
その後を聞いてみると、避難して無事だったことが分かったとのこと。
新築して間もない家や車が流されてしまった事はお気の毒であるが、怪我もなく無事だった事は何よりである。

2011/03/21(月)
久しぶりのパン、しかも頂き物朝食はパンだった。
久しぶりのパン。
昨日のお昼を食べたお店で頂いたパン。
おいしく頂きました。


昨日買ったコーキング剤。
これを使って、地震で傷んだお風呂場を修理した。
まぁ、修理と言っても本職ではないので簡易的な補修しかできない。
それでもやらないよりはマシでしょう。
ちなみにこのタイプのコーキングなんて使ったことがないので失敗する可能性は高い。

タイルの隙間にチュ〜っとするだが、それでも男にはやらなければならない時がある。

それが今なのかどうかは分からないが、お風呂場が乾燥している今がチャンスなのは確かである。
コーキング剤のチューブを充填機にセットしてタイルの隙間にチュー〜っと流し込む。

おっ、良い具合だぞ・・・あ、溢れた・・・
ありゃ、ちゃんと入ってない箇所があるぞ・・・うっ、今度は多すぎた・・・

まぁ、私の手に掛かればこんなものさ・・・

夜、なんと蛇口から水が出た。
また試験的なもので止まるかもしれないが、赤水でもない、臭いもない綺麗な水。
おかげでお風呂に入ることが出来ました。

2011/03/20(日)
行列ができるガススタンドおなか減ったなぁ。
お昼ご飯、どうしよう・・・

食材もあまりないから外食しようか。
それなら泉の先にあるお店に行こうか?
でも、営業しているかなぁ?
電話で確認してみよう。
・・・営業しているって。
じゃぁ行こう。

・・・ということで泉の先に行ってお昼ご飯を食べてきた。
そして、店員さんにお願いしてレジャー用の給水タンクに水道水を入れてもらい、お持ち帰りしてきた。

その帰り、反対車線で給油待ちの大行列を見かけた。
関連業界の友人の話では1週間以内に解消するようなので焦る状況ではない。でも、そんな話を知らなければ「この先もこんな状態が続くかも・・・」と思うよね。
「こんな状態が続くかも」なんて想像するとゾッとする。

こちらの方は大根を買ったようだその後、お風呂場の補修剤を買うために隣町のホームセンターに寄ってみた。
近所のホームセンターはお休みだったので、営業しているのはありがたい。
なんとそのホームセンター内のスーパーマーケットも通常営業していて、野菜や肉も売られていた。近所のスーパーをはじめ、今はどこのお店でも食料を買うためには行列に並ばなければならないので驚きである。
10日ほど前なら当たり前の光景だったんだけどね・・・

2011/03/19(土)
石巻市街地(撮影は伯父)ちょっと早めの墓参りのため、河北町に向かった。
普段通る道路は地震で破損したり緊急車両専用道路になっているので、いつものルートより西側(大郷・鹿島台・涌谷)を回って行った。
家の周辺は地盤が良いせいか今回の地震の影響はそれほど見られない。
しかし、大郷に入ると道路が隆起陥没でダメージを受けていたり、橋が損壊で通行止めになっていたり・・・と、何度かルート修正が必要な状態。
道路だけでなく、倒壊しかかっている家屋も何軒か見かけた。
今回の地震では揺れそのものよりも津波の被害に注目されているが、場所によって揺れによる被害が大きかったことが分かる。

河北町に到着し、まずはご先祖様の墓参り。
ご先祖様や我が家の墓はちょっとした被害があったものの、大事には至っていなかったので、まずは一安心。
河北町に行ったついでに親戚やお客様に顔を出し、皆が無事であることを確認。
良かった・・・。
お客さんの家では「はっと」やあんこ餅をご馳走になってしまった。
食料が貴重なこのご時世に、思いがけないご馳走。感謝です。

夜、国道45号線を南下して帰ってみることにした。
すると石巻蛇田地区で周囲が暗いことに気づいた。
路肩には津波が押し寄せた形跡が見て取れる。
海岸から少々(約2km)離れているが、ここまで波が来たようである。
(ひょっとしたら用水路を遡って氾濫したか?)
普段ならお店や街灯で明るい地域なのだが、まだ電気が回復していない為か、暗い。
光源は行き交う車のヘッドライトだけ。
寂しい感じがする・・・。

だが、これはまだ「被災地の入り口」だと5分後に知ることになる。
門脇地区に差し掛かると対向車は全くなく、明かりがひとつも見えない。
道路は泥が乾いたような感じで汚れていたが、傷みも無さそうでフラットな状態。
なんだか、町をそのまま残して人がみな去ってしまったような感じである。

そして東松島市に差し掛かると景色は更に黒く変わる。
国道45号線は仙台と石巻を結ぶ幹線道路。本来なら車の往来が絶えない動脈のような道路である。
だが、いまは様子を変えてしまっている。
道路のすぐ横を流れる川が津波の影響で遡上・氾濫し、流された車や丸太(河口に材木の加工場がある)が路上に散乱している。
交差点を一つ越えただけなのに、風景が全然違う・・・
道路には車一台がやっと通れるほどの幅が確保されている以外、ほとんど未着手で放置されていた。
潮が引いて間もないのか、路面はドロドロな状態。
車を走らせるとタイヤハウスから泥が跳ねる音が聞こえる。
周りを見ると泥にまみれた車や丸太が沿道の建物や電柱に絡みついている。
沿道から見える建物はみんなダメージを受けている。
そして、人がいる様子は伺えない。

一言で言えばゴーストタウンである。

少し進んだところで橋の修復工事に出くわした。
工事の作業員さんを見て、人を見たことにちょっと感動。
山の中で人に会わないのは自然なことだが、町の中で人を見かけないのは本当に不気味なことである。
工事のため国道を直進出来なくなったので、内陸側に向かうことにした。
すると、そこは国道よりも一段低くなっているため少々深めの水たまりになっていた。
なんとか車が通れそうなのでそのまま直進したが、水面の下に何があるか分からない所を通るのは怖いものである。
ふと横を見ると道の両脇のブロック塀や民家の壁には津波の跡がしっかり残されている。
その高さ、約2m。
もし今その高さの津波に襲われたら・・・そう思うとゾッとする。
津波のせいなのか、揺れのせいなのかは分からないが、あちらこちらに損傷した家屋が見受けられた。
1階部分が倒壊し、平屋の状態になっている2階建てアパートもある。
いずれにしても住民が巻き込まれていないことを祈りながら通過してきた。

内陸に向かって1kmも走るとドロドロの路面も乾き、津波の形跡も見えなくなった。それと同時に少しホッとした。
それほど私にとって衝撃的な光景だったと言うことなのだろう。
だが、この日私が見たのは比較的海から離れた地区。
沿岸の地区は更に大変なはず。
そんな状態から立て直すのは容易いことではない。
それでもきっと住民達は立て直すだろう。
そのための力として、ささやかながら私も何か役に立てたらいいなぁ・・・と思うのであった。

2011/03/18(金)
積雪するくらい寒い東京で建設中の電波塔スカイツリーが完成形の高さ634mに達したらしい。
地震さえなければもっと注目されていただろうに・・・

地震発生後、3〜4日ほど経った日から毎日の光景となった。
近所のスーパーに向かう車の行列。約1kmの大行列である。
10時頃の開店に対して6時頃でこの通りである。
確かに日用品や食料が買いにくくなっているからね・・・。
でもさ、この行列の人がみんな切羽詰まっている訳ではないでしょう。

「行列が出来ているから自分も並ばなきゃ!!」っていう人も少なからずいるのでは?

2011/03/17(木)
積雪するくらい寒い報道のありかたについて思う。

現在進行形の福島原子力発電所放射能漏れ事故。
この事故で漏れている放射線量を報道しているのだが、これが視聴者の不安を煽りたいのか、落ち着かせようとしているのかが分からない。

「通常の400倍を観測した」

えぇっ、それは大変!!

「人体には影響が無い量です」


・・・安心して良いの?

こんな具合で報道の方向が混乱している。
おもしろおかしく拡大誇張して伝えたいがためにメチャクチャになっている嫌いがある。
この件に関して、仕事柄原発に詳しい友人からメールがあった。

そのメールによると

「もともと放射線量は対数表示されるもの。通常でも10の乗単位で変動する性質があります。重要なのは通常に比べて何倍かということよりも、どれだけ人体に影響ある数値に近いかということ。」

こういうことをちゃんと報道してくれればいいのに・・・。
(ちゃんと報道している番組もあるが、他の番組がそれを帳消しにしている)

とは言え、原発事故が悪化する可能性があるのは間違いないところ。
事態の沈静化を願うばかりである。

2011/03/16(水)
雪が降って寒いお昼過ぎにインターネット環境が復活した。
PCを立ち上げてメールをチェックすると何通もの「大丈夫か?」とご心配くださった方からのメールが届いていた。
ありがとうございます。

昨日の夜、水道の蛇口から水が出て喜んだのもつかの間、まともに出なくなってしまった。
どうやら水道管の復旧状況を確認するためのテスト的なものだったようである。
それでもチョロチョロと出続けているので浴槽に溜めた。そして1時間半くらいで入浴できるくらいの水位になった。
おかげで、この日は6日ぶりのお風呂にありつけたのでした。

東京電力、いい加減にしやがれ。
それともバカなのか?

福島の原子力発電所で爆発事故が起こり、放射性物質が漏れている。

原発に関しては色々と思うところがあるが、それをここで触れようとは思わない。
だが、事故発生後の対応がしっちゃかめっちゃか。

原発が停止しているために発電能力が落ちている。
そのために輪番停電を実施して不意の停電を避ける。
それは理解できる。
だが、死傷者が出ている被災地域も一緒くたにその中に組み込むって何なの?
そういう場所っていうのは緊急に救出や復旧作業しなければならないハズじゃないの?
なのに停電にするの?
もし技術的・物理的にその地域を停電から除外できないなら停電に組み込むべきではないでしょう。
そう思っていたら後になって「被災地域を除外することにした」・・・って、出来る事ならなぜ最初からそうしない?
東北電力は、ちゃんと宮城を計画停電から除外してくれているのに。

東京電力幹部はバカなのか?

2011/03/15(火)
貴重な水資源雨が降ってきたので雨樋の先にバケツを置き、水を溜めた。
これも貴重な水資源である。
とは言っても飲んだり体を洗うには汚すぎる。
トイレに使おう。

夕方、試しに水道の蛇口をひねったら、なんと水が出た。
待ちに待った水道の復活である。
だが、赤水である。
しばらく出しっぱなしにしても赤水のまま。
ちょっと早すぎるかな・・・?
しばらくの間は口にしないようにしよう。

今日は何度電話してもつながらなかった石巻の友人達とやっと連絡が取れた。

津波をモロにかぶった場所(石巻)で働いている友人がいて、何度も電話を掛けてもつながらなかったのだが、今日、やっと電話がつながり無事が確認できた。
大津波警報発令ですぐに近くの山(日和山)に逃げたらしい。
無事でよかった。
また、名取の仕事仲間とも連絡が取れた。
無事が確認できるのは嬉しいが、確認できない人が気になる・・・

2011/03/14(月)
朝5時頃に目が覚めた。
そして、昨日の朝と何かが違うことに気がついた。

外でオレンジ色に何かが光っている。

街路灯の光だ。
昨日の夜まで消えていた街路灯が点いている。
ということは、家の電気も通じているのかな?
期待を込めて落としていたブレーカーを上げると・・・電気が点いた。
これはありがたい。

電気が通じてくれたおかげで照明が使えるようになったし、コタツやエアコンで暖を取ることもできる。
灯油の買い置きは10リッターも残っていないので、しばらくはストーブではなくコタツとエアコンに切り替えよう。

電気が復旧したおかげでテレビも視られる。
ラジオ以外、公の情報源が無かったのでこれはありがたい。
さらにはPCも使える
これでメールやインターネットも使える・・・と思ったら、インターネットは使えなかった。
どうやら光回線が止まっているようである。

また、電気が復旧したおかげなのか携帯電話がこれまで以上に通じるようになった。
おかげで関東地区や仙台市内の友人知人に連絡を取ることが出来た。
被害が大きい地区の人とは依然として連絡が取れないので心配は残るが・・・。

電気が復旧してテレビが見られるようになったのは良いが、私の行動エリアを始め、広い地域で大きな被害が出ていることを知ることになった。

2011/03/13(日)
電気がないと、やることがない。
PCも使えないし、テレビも見られない。
携帯電話だって使えないし、電源を入れておくだけでバッテリーを消費するし、充電も出来ない。
車のコンバーターを使えば充電できるが、ガソリンだって入手困難な状況なので浪費は出来ない。
やることがない今だからこそ、普段出来ない掃除でもしようか・・・と思っても、水が貴重な今、拭き掃除も出来なければ自分が汚れるような作業もできない。
何も出来ないじゃないか・・・
なんだか自分自身の脆さというか、ちっぽけさを痛感してしまった。

昨日、塩釜・多賀城方面に見た煙はどうやらコンビナートの火災によるものらしい。
塩釜も大変なことになっているの?
状況が気になる。
でも、今は興味本位で動いてはいけない。
そういえば、原子力発電所も大変なことになっているらしい。

2011/03/12(土)
土曜日なのを幸いに、普段より少々遅めの8時頃に起きた。
電気は復旧したかな?
期待を込めて電気のスイッチを入れてみるが、未だ復旧していなかった。
なんだか、それだけでガッカリである。
朝食を取った後、弟は河北の実家へ戻っていった。
私は電気がないと仕事も趣味も何も出来ないので、近所(歩いて5分くらい)のモータースポーツ仲間の家に行ってみた。
仲間は仕事で関東方面に行っているので不在だが、ご両親がいるハズなので様子を伺っておこうと。
行ってみると、ご両親がくつろいでいた。
話を聞いてみると特に被害もなく、神棚の御神酒がこぼれて押し入れを濡らした程度だという。
電話が不通で連絡が取れないようだったので、その旨を携帯電話から仲間にメールするがこちらもなかなか発信できない。
「発信出来るときに伝えておきます」ということでその場を後にした。

帰り足に「そうえいば、食べるものがあまりなかったんじゃないかな・・・」と、近所のスーパーに行ってみたら・・・凄い行列が出来ていた。
これは買い物一つするのも大変だ・・・。
そう思い、20人くらいしか並んでいないチェーン店の薬局に並んだ。
パンと飲み物でも買って帰ろう。
そう思って並んだのだが、とにかく進まない。
全ては停電のせいである。
レジPOSが動かない。
そうすると、レジ処理が追いつかなくなる→店内にお客さんがごった返す→混乱が起きる→犯罪が起きる・・・ということだろう。
入店制限を掛けて、お客さん一人に店員一人がついて歩き、買うものを一つ一つメモして、それをレジ係に渡して電卓で計算会計するという非効率的なやり方をしているのだ。
そのせいでお客さんの流れがもの凄く悪い。
おかげで20番目くらいに並んでいたのに、乾パン(普通のパンは売り切れ)や水などを数点買うのに2時間も掛かってしまった。
まぁ、普段やらないことをやっているのだから仕方ないことかな・・・
それはそうと、店を出てくるお客さんも「おいおい!」と言いたくなる人がいる。
何だ?この煙は・・・買い占めまがいの事をする客である。
トイレットペーパー(12ロール入り)を5個も6個も買う人がいたが、そんなに使うか?

それはそうと、買い物の行列に並んでいるとき、塩釜・多賀城方面に見えた煙は何だったのだろう?

買い物を済ませて家に戻ったのが12時。
既にお昼ご飯の時間だった。
だが、電気が止まっているせいでご飯が炊けない。
早く電気が復旧して欲しい。

遠方から助けに来てくれてた救急隊お昼ご飯(スパゲッティ)を食べてから、車で奥さんの実家(東仙台)に向かった。
その途中、救急車や消防車の列とすれ違った。
長岡や松本、遠方からの応援に感謝で手を合わせたくなった。
さて、今回は比較的広い道で東仙台まで向かったが、やはりこちらも路面にダメージがあり、橋を通過するたびにギャップに気をつけなければならない状態だった。
でも、車の交通量が少ないので流れは非常にスムーズだった。

東仙台に到着すると昨日は不在だった義兄がいた。
・・・そういえば2台あるハズの車が1台しかない。
話を聞くと、通勤で乗っていった車が津波で流され、どこに行ったか分からないらしい。
・・・ということは、職場に津波が来たのか・・・
話を聞くと、大津波警報が出されてからすぐ近くのジャスコ多賀城店に避難したらしい。
そして、しばらく経って「津波が来ないようだから職場に戻ろうか?」「いや、もう少し避難しておこう」と同僚と話をしていたところに津波が襲ってきたらしい。
そして今朝方、潮が1mくらいまで引いたので、その中を数時間掛けて歩いて帰ってきたのだとか。
義兄の職場周辺は私の行動エリアだし、実際に地震の24時間前にはそのエリアにいたんだよね・・・
一日違ったら私も危なかった。
まずは義兄が無事でなによりである。

東仙台から帰る途中、お客様が住むアパートを訪れてみた。
そのお客様のご主人は長距離トラックの運転手をしている。
地震の影響で福島と仙台を結ぶ道路が国道も高速道路も通行止めになっているので、ひょっとしたら帰宅できないのではないかと心配してみたが・・・その心配は不要だとすぐに分かった。
ご主人の大型トラックがすぐ近くに止まっていたのだ。
話を聞いたところ、昨日は気仙沼に配送したあと石巻の河口付近にある日和大橋手前で地震に遭遇したらしい。
そのせいで橋の手前で停車した車の列に混ざって足止めを食らっていたが、大津波警報が発令されたのを受けて停止していた車の一部が動き始めたらしく、その流れに乗って橋を渡り、内陸部に進んで津波から逃れたのだという。
その5分後ろを走っていた同僚は津波でトラックを流されたとか。
本当に危なかったようである。
こちらのお客様も無事で良かった。

そう思うと同時に、世の中はそんなに大変な状況なのかと思わされた。
他にも心配な人は何人もいるが、電話がつながらない(そもそも発信が出来ない)ので連絡の手段がない。
だからといって混乱している現在、沿岸地域に行くのも危険である。
もどかしい・・・。

大丈夫だと思っていた水道が弱くなり、ついに止まってしまった。
汲めるだけ汲んでおいたが、いつ復旧するのだろうか?
電気はなくても生きていけるが、水がないと生きていけないので停電より深刻である。
早く直ってね。

この日も停電のままなので、夜は日没のちょっと後で布団に入った。
暗くてやることもないし、できることもないし、燃料も浪費できないからね。

2011/03/11(金)
地震で傾いた下駄箱

テレビの占いで7月生まれは一等賞だった。


2階の自室でPCに向かっていた。
そろそろ3時のおやつというとき、地震がおきた。

震度4くらいかな?

・・・いや、ちょっと強くなってきた・・・

PCのモニタを押さえながら落ち着くのを待ったが、揺れ始めから数秒程度で更に揺れが強くなった。

うっ・・・結構強いな・・・
震度5くらいか?

しかし揺れは更に強くなり、部屋中がガシャガシャと音を立てる。
棚の上のプリンタが徐々に移動して棚から落ちる。
積んでいた段ボール(中には梱包材などが入っている)が数個、頭上から落ちる。
引き出しが開いて落下する。
落ちると分かっていても、手が2本しかないので他の物まで抑えられない。
とにかくモニタは守らなければ・・・
(手が届く範囲で一番壊れて困るものがモニタだった)
下の階からはガシャンと何かが壊れたような音が聞こえた。

震度6!?
「もはや壊れる物は壊れても仕方がない。」

そんな覚悟が出来るほど強い揺れ。
でも家は壊れて欲しくないなぁ・・・
古い家でも住むところは必要だからさぁ。
あ、あと居間のキュリオケースとテレビも買って間もないから・・・
その願いが届いたのか、家が崩れる前に揺れが落ち着いてきた。

周囲を見回してみると・・・自室の物がいろいろ荷崩れを起こしたり、引き出しが落ちたりで散乱したが、壊れた物は無さそう。
まずは一安心。

一階が気になるので降りてみると、台所では食器が幾つか落ちて割れていた。
まぁ、強烈に揺れたから仕方ない。
茶の間に行ってみるとクマのぬいぐるみが電話台の上から転げ落ちていたが、それ以外の被害は無さそう。
テレビやキュリオケース(高さ180cmくらい)も無事で一安心・・・と思った瞬間にまたもや強い揺れ。

これも震度5!?いや、ひょっとしたら6?

2階のモニタが気になるが、さすがにそこまで手が届かない。
代わりにキュリオケースが倒れてこないよう寄りかかりながらテレビを抑える。

グッラグッラ揺れる。
・・・抑える・・・
グッラグッラ揺れる。
・・・抑え続ける・・・
グッラグッラ揺れる。
・・・抑え続ける・・・
グッラグッラ揺続ける。
・・・ええぃ、いつまで揺れてるんだ!!
とにかく長く揺れた。
計っていないが、3分以上揺れていたように感じる。

やっと揺れが止まった(ひょっとしたらその後も長い波長で揺れていたのかもしれないが分からない)ところで、まず何をすべきか考えてみた。

まずは現状を把握しなければ・・・。
壊れたものは食器類だけ。
倒れたり崩れたものは玄関の下駄箱や引き出し、積み上げた段ボール類等々だがダメージがありそうなものは無い。
家屋のダメージなどは後で確認しよう。

次に、これからどうするか。
まずは家族の安否確認・・・と電話を掛けたがつながらない。(発信できない)
ならばメール・・・と試みたがこれも発信できない。
停電しているので光電話もインターネット回線も使えない。
携帯電話のパケット通信も不通。
回線がビジー状態のようである。
一足遅かった。

回線が空くのを待ちながら、その間にしておくべき事を考えた。
大きな揺れだったので、色々と不都合が出てくるかもしれない。
まずは水を確保しておこう。
お風呂場には残り湯があるので、これはそのままにしておこう。
あとは飲み水を汲んでおかなければ。
ヤカン、水筒、鍋、ご飯釜、ペットボトル・・・空いている容器に水を汲んだ。

次に安全の確保。
割れた食器などは怪我の原因になるのでホウキとチリトリで綺麗に片付ける。
散乱したものも歩くのに邪魔にならないよう片付ける。
でも、また揺れて荷崩れしそうなものは床に直置き。
醤油差しも倒れてこぼれていたが、幸い流し台の上だったので後始末は簡単だった。
・・・こんなところか・・・

とりあえずやっておくべき事は済ませたが、地震の情報が欲しいな・・・
停電でテレビもインターネットも携帯電話も使えないし・・・あ、携帯電話のワンセグがあるじゃないか!!
・・・ダメだ、電波状態が悪くてまともに映らない。
ラジオをつけてみると「大きな揺れがありました。津波に注意してください。3mの大津波警報が発令されました。」と言っている。
広報車が出ているらしく「大津波警報が発令されました。河川に近づかないようにしてください。」と言っているのが聞こえる。
避難した方が良いか?
ここは海から3kmくらい離れていて標高20m以上ある。
地形を合わせて考えると相当安全性が高い。
それでも逃げた方が良いか?・・・いや、ここがダメならどこもダメだろう。

さて、次にどう行動しようか・・・
仕事で仙台に行っている奥さんをどうにかしないと・・・
これだけ揺れたから、多分鉄道はストップするか大幅な遅延が起きるだろう。
車で迎えに行くか?
それにしても連絡を取らないことには・・・。

そうこうしているうちに奥さんから電話が入った。
職場ビルも相当揺れたらしいが、無事だったようである。
そしてこの時点で業務終了となったらしい。
「じゃぁ、これから迎えに行こう・・・(プツン)・・・」
会話の途中で電話が切れてしまった。
回線状態が非常に悪いようだ。
とにかく迎えに行くと決まったら早めに出なければ。
・・・とは言っても、どこで奥さんと合流したらいい?
とりあえず「国道45号線で迎えに行く」とメールを送ろうとするが、相変わらず送信失敗。自動再送信にセットして、あとは運良く届くのを待つことにした。

外に出ると・・・雪が勢いよく降っていた。
まったく、こんな時に雪か・・・と思いながら車を走らせると周囲の様子がおかしいことに気づいた。

信号機が消えている・・・

停電は我が家だけではなく、信号にも影響していた。
曇っている窓ガラスを開けなければ交差点で安全確認できないし、開けても雪が視界を遮るし横から車が来るし・・・信号が機能しない交差点は怖いものである。
おまけに路面は荒れていて、ブロック塀が崩れて車道を塞いでいたり、マンホールが隆起したり、道路のつなぎ目のギャップが大きくなっていたりで、走りにくいこと・・・って、こんなに大変な状態になっていたのか?
この時、初めて大変な状況になっていると気がついた。
この状況で仙台市街地に辿り着くのは難しいハズ。
ならば途中にある奥さんの実家へ行き先を変更し、そこで合流することにしよう。
そう思ってメールを送るが、これまた送信失敗。
自動再送信に設定。
先に送信設定したメールは送信完了したようだったが、果たして届いたのだろうか?
それさえ分からないまま東仙台にある奥さんの実家に向かった。
途中、新幹線の電柱が折れているのが見えた。
車のナビをテレビのニュースに切り替えると「七ヶ浜町では民家や自動車が流されています」と報じていた。

「海沿いでは更に大変なことが起きている」と思うと同時に「民家が流されているって、どういうこと?」と、状況を飲み込めないでいた。

ルートを選んだせいか、比較的すんなりと東仙台に到着。
奥さんの実家にはご両親と義理の兄夫婦と子供達が住んでいる。
義兄が仕事で多賀城に出かけていて不在だったが他の人は無事で、落ちて割れた食器などを片付けていた。
気になる義兄も無事だったと連絡があったそうなので、まずは一安心。

実家の無事を確認したあと、徒歩で奥さんを迎えに行くことにした。
周囲はだいぶ暗くなってきたし、街灯も点いていないので、早めに見つけないと危険だ。
それにしてもどのメールが届いているか分からないので、行き違いにならないよう奥さんが歩きそうなルートを逆方向から探すことにした。
苦竹インター(4号線と45号線の交差ポイント)から仙台駅方面に向かって探すことにしよう。
そう考えて捜索開始地点の苦竹インターに向かっていると、正面から見慣れた人影がこちらに向かってきた.
奥さんか?
でも、この方向から来るハズがない。
しかし、あれは・・・やはり奥さんだった。

職場から実家に行くならもっと近道があるのに、なぜこんな道を通っているのか?
聞くと、同じ方向に帰る同僚と歩いているうちに迷子になったのだとか・・・

・・・迷子になりながら合流できるとは・・・強運の持ち主なのだろう。

奥さんの実家に戻った頃にはすっかり暗くなっていた。
依然として電気が止まっているため照明も点かなければファンヒーターも動かない。
雪は止んだが気温は低い。
貸して貰った毛布にくるまりながらラジオに耳を傾けると、沿岸地区では津波で大きな被害が出ていると報じていた。
石巻大街道地区では小学校から火災が発生して延焼しているとか、宮城野区では200〜300人の死体が上がっているとか・・・

何がどうなっている?

ラジオから繰り返し伝えられる。
「気象庁は今回の地震を平成23年東北地方太平洋沖地震と命名しました」
そんなくだらない事はどうでもいい。

ラジオだけでは分からないので携帯電話のワンセグTVの画面を見てみる。
どこかの中継映像が表示されているが、画像が荒くてハッキリと分からない。
映っている場所が石巻となっていても、それがどこなのかも分からない。
(知っている場所が変わり果てた景色になっている映像だと、後で知った)


夜になって、仙台に勤務している弟と連絡が取れた。
弟と父は既に連絡を取っていて、無事を確認していたという事で一安心。
ただ、勤務先から河北の自宅に帰る最中で車がほとんど進まないらしい。信号も街灯も点かず、路面状況も荒れて悪い上に落下物や倒壊し塀などがが散乱しているので無理して車を走らせるのも危ない。
今日は私の家に泊まることを勧めた。

弟が泊まることになったので、東仙台から家に向かう。
道路の被災状況や渋滞を推測してルートを選んで車を走らせる。
鳴りっぱなしの踏切では遮断機がへし折られていたり、倒壊した塀が道を狭くしていたり、橋の付け根に大きな段差が出来ていたりと走りにくかったが、無事に到着。
そしてまもなく弟も無事に到着。

こんな時のためにとって置いたやはりこちらも停電で照明が点かないので、電池で光るセンサーライトや携帯電話のライトをフル活用。
しかし、携帯電話のバッテリー消費を考えるとあまり使わない方がいいハズ。
でも夜は明かりが必要。
なにか他に代わりになるものは・・・ローソクだ。
ローソクの買い置きはしていないが、非常用にとって置いたローソクがある。
そう、結婚披露宴時のローソクである。
こうして明かりは確保できたのだが、電気が止まっているので冷蔵庫の中身が心配。
そんな訳で、冷凍庫のアイスを3人で食べた。
地震で世の中が大変な状態になっているであろう時だが・・・

それにしても、停電だと何もすることがないし、何も出来ない。
PCもテレビも通信もコタツもファンヒーターも炊飯も電子レンジも使えない。
さらには風呂にも入れないし、シャワートイレも便座ヒーターも動かない。
暗くて何も出来ないので、この日は普段より2時間くらい早く寝ることにした。
詳しいことは明日分かるだろう。
そう思いながら・・・

2011/03/10(木)
リンチの挙げ句4人を殺害した3人に最高裁判所が死刑判決を下した。

その3人が犯行当時19歳の未成年だったという点と、そのことが判決に影響するかが注目されていたようである。

私の考えを言わせて貰えば、13歳頃には刑事罰を受けるような事をしてはいけないことぐらいの分別はつく。
それどころか14歳以上になっていなければ刑事罰を受けないことだって知っていた。
少なくとも私は知っていたし、同い年の周囲の人間だって分かっていた。
何しろ私にそれを教えたのは不良と呼ばれる同級生だったのだから。
分からないのは「どれくらいの罰を受けるか」ということ位である。
大人が考えるほど子供は無知じゃないんだよ・・・

殺人は今更言うまでもなく最悪な犯罪である。
しかし、人によっては自分や他人を守るため仕方なく犯してしまった・・・という事情を抱えている場合もあるだろうし、そうであれば多少の同情はあるかもしれない。

だが、リンチっていうのは一方的なもの。
同情の余地など無いほど単純な話である。
「人格形成期に両親が離婚して・・・」だとか「不幸な生い立ちが・・・」などと言う輩もいるが、だから殺人の理由になるというのか?
そんなことを言い出したら離婚が増えている現在の日本には多くの殺人犯予備軍がいることになるし、そういう環境で育った人に対して非常に失礼だと思う。

今回の判決に関しては当然だと思う。

2011/03/09(水)
お昼ちょっと前ころに宮城県北部で震度5の地震があった・・・らしい。
その時私がいた場所は震度4だった・・・らしい。

・・・そう、私は気がつかなかったのだ。
車を運転中だったから。

地震のことを知ったのは「大丈夫だった?」とメールが届いてから。
車のラジオをつけると地震のことを放送していた。
あぁ、本当に地震があったんだね。

こんな具合で脳天気に日中は運転していたが、夜は一転。
日中は穏やかな天気だったのに、夜には1時間に10cmの大雪に見舞われた。
そんな視界不良の中、街灯もなく真っ暗で、白線が雪で埋もれた三陸道を走るのはちょっとキツかった。
今日の地震より怖かったよぉ・・・(気づかなかったからね)

夜、テレビでは専門家のフリをした人が「大きな余震は無いでしょう」とほざいていた。

・・・そうであって欲しいがアテにはならん。

2003年にどれが本震だか余震/前震かも分からないような強烈な揺れを、2日間で3連発経験している身としては眉唾物である。

2011/03/08(火)
焼き肉セット・・・のフタ焼き肉・・・

素敵な言葉である。

次回はいつになるだろうか?
待ち遠しい・・・

R2のオイル交換をした。
全回の交換から4300km。
ちょっとサイクルが長くなったかな・・・

2011/03/07(月)
確定申告をしてきた。
提出期限は来週なので、一週間前である。
今年の私は早いぞ。

決算書や申告書は自宅で作成済みなので、受付窓口に出向いて提出するだけ。
窓口は特設会場となっている塩釜マリンゲート。
車で5分くらいのところにある。
会場に到着し、提出するために5分くらい並んだが、既に作成しておいた書類と控除関係の書類のチェックだけなのですんなりと終了。
郵送でも受け付けているのに、このためだけに足を運ぶのは時間がもったいないような気さえする。でも、記入ミスや添付書類の不備がないという確固たる自信がないのでしょうがないかな・・・。

こんな感じで呑気に塩釜マリンゲートに行ってきたのであった。
数日後、この場所が津波を被ることになるとは知らずに・・・

2011/03/06(日)
世間を賑わせた・・・いや、マスコミや世間が楽しげに賑わった大学入試のカンニング事件。

その手口が注目されていたが、どうやら単純にポチポチと文字を入力して投稿していたらしい。
そんな面倒で時間が掛かることを堂々とやっていたなんて・・・驚きである。
もう一つの驚きは、自分の携帯電話から直接投稿していたこと。
つまり、投稿元の痕跡を隠していないのである。
知識がなかったのか?
それとも「見つかったらそれまでのこと」と腹をくくったのか?
いずれにしても大胆である。

話は脱線したが、一つ一つ問題を手入力したとなると試験監督の甘さを指摘されても仕方ないような気もする。
だが、カンニングした受験生よりも監視が甘かった大学が悪いという一部の意見には文字を大にして意見したい。

本筋を見失ったヤツが偉そうにうわごとを垂れるな


絶対にカンニング出来ないようにする?
じゃぁ、受験生と試験監督を1対1で張り付かせた方が良いのか?
そのために学校側の人件費を受験料に上乗せして良いのか?
それが学校と受験生、お互いのためになるのか?

こんな理屈は好かん。

2011/03/05(土)
新型新幹線の「はやぶさ」が運行を始めたらしい。
はやぶさの目玉は営業最高速度300km/hと、グランクラスという飛行機のファーストクラス相当の贅沢なシート。
一度乗ってみたいものだが、新幹線で移動する必要がほとんどないので、いつ実現するかは分からない。

2011/03/03(木)
インターネット上に大学入試問題を投稿した男が逮捕されたらしい。
男は仙台市在住の予備校生だったらしい。
合格したい気持ちは分かるが、ダメだよ。

2011/03/02(水)
渋谷の名犬ハチ公。
その死因は一般的には寄生虫によるものとされていたが、最新の解析では肺がんが原因ということが分かっているらしい。

2011/03/01(火)
インターネット上に大学入試問題が投稿されたことでテレビでは頻繁にその手口を推測している。
現時点では、掲示板には携帯電話から投稿された事が分かっているらしい。

・受験生が問題文を直接入力して投稿した?
電話機のボタンを何百回もボタンを押さないと問題文を入力できない文字数なので、入力している最中に見つかるのが落ち。
まさか・・・な方法である。

・カメラ機能で写真を撮って協力者に送信し、協力者が投稿した?
撮影の時に携帯電話を机の上に出さなければならないので見つかりやすそうだが、最も現実的な方法かも?

・イヤホンでこっそり通話して問題を伝え、協力者が投稿?
聞き手が完璧に聞き取って取りこぼしがないなら出来るかもしれないが、実際には相当難しいハズ。
速記術を会得している人ならできる?

・電話機のOCR機能を使って問題文を読み取る?
なるほど。
でも、誤認識は避けられないし、それを修正するのは大変なはず。
記号が多い数学では誤認識のオンパレードで手入力の方が早いはず。

さて、実際はどんな手段だったのだろうか?

過去のTawagoto一覧